教育をテクノロジーでもっと面白く。ラクスルに共通した思いでゼロイチの事業づくりを手掛ける
ラクスルを卒業したOB/OGたちは、ラクスルで何を学び、今にどう生かしているのでしょう。ラクスル共同創業者として技術開発責任者を担い、現在は特定非営利活動法人「みんなのコード」代表理事を務める利根川裕太さんに話を聞きました。
特定非営利活動法人「みんなのコード」代表理事
利根川 裕太
Yuta Tonegawa
慶應義塾大学経済学部卒業後、森ビル株式会社で予算部門や営業部門を経て、ラクスル株式会社に入社。技術責任者として事業成長を支える。2015年に特定非営利活動法人「みんなのコード」(http://code.or.jp/)を設立。2016年より文部科学省「小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議」委員。著書に『なぜ、いま学校でプログラミングを学ぶのか-はじまる「プログラミング教育」必修化』(技術評論社)などがある。
プログラミングの重要性に、創業3か月目に気付いた
――ラクスルとの出会いを教えてください。
ラクスルCEOの松本さんと共通の知人だったベンチャーキャピタリストの佐俣アンリさんを通じて、2009年に出会いました。ラクスル創業の初月でした。
アンリさんとは、大学で一緒に卒業アルバム制作委員会をやっていたんです。僕のことをよく知っていて、「利根川と気が合いそうな人がいる」と紹介されました。松本さんの頭の良さに惹かれ、すぐに意気投合しました。その当時から松本さんには「仕組みを変えれば、世界はもっと良くなる」というビジョンがありました。いいフレーズだなぁと思って、当時勤めていた森ビルの仕事の傍らで手伝い始めました。
――事業内容については、どのように見ていましたか。
創業したての頃は、印刷業界への課題意識があっただけで、自分たちがwebサービスを作り変えていこうという発想はなかったんです。松本さんが印刷業界に着目したのは、前職のA.T.カーニーで、企業のコスト削減で一番落ちるのが印刷費だということに気付いたからでした。「この業界、何かおかしいのではないか」という思いで起業して、当初は印刷費削減のコンサルをやろうと話していました。
手伝っていくうちに、「印刷の価格比較ができるサイトがあった方がいいのでは」という課題に行き着きました。そうして、創業3か月目のタイミングで初めて「サイトを作るなら、自分たちがプログラミングができた方が良さそうだ」と気づいたんです。ですから、初めは事業内容というよりは、松本さんと一緒にやりたかった、という思いの方が強かったですね。
――利根川さんは、当初からプログラミングができたわけではなかったんですね。
まったくの未経験です。本業は予算部門での経理でしたから(笑)。
松本さんと二人で「どっちかと言えば、利根川のほうが向いているだろう」という結論に至り、ゼロから学び始めることになったと記憶しています。
――開発のプロを採用するのではなく、自力でやろうと思ったのはなぜですか。
採用するお金もツテもなかったのが主な理由だったと記憶しているのですが、今思うと人には「能力が低い人ほど自分の能力を過大評価する」という認知バイアス(ダニング=クルーガー効果)があり、そのバイアス通り、まったく知らない領域のことに対して自信満々になれたのでしょうね。
できるだろうと楽観的に動き始めましたが、さすがに独学では難しく、大学の後輩でのちにラクスルの最初のCTOになる山下さんに、家庭教師になってもらいました。本業を平日20時までやって、夜はプログラミングを勉強し、学びながらつくったプロダクトが「印刷比較.com」でした。1年半強、副業を続け、2011年に共同創業者として正式にジョインを決めました。
――ラクスルの創業時から技術責任者としてプロダクト設計を担ってきました。もっとも大変だった経験は何でしたか。
数え切れないですね。ECサイトの立ち上げ(2012年「raksul shop」β版)の際に資金調達後にもかかわらず予定通りにリリースできなくて対応に追われたり、リリース後にも想定したように注文が伸びなくて、試行錯誤しながら商品を追加したり、やるべきことが膨大にありました。売上が伸びてくれば、今度は、場当たり的に改良してきたシステムがスケーラブルではないという新たな課題にぶつかりました。
よく考えれば、森ビルの経理だった人が見様見真似で始めたプロダクトを継承しているわけですから当然です。そこから「プロダクトチームを作ろう」というチャレンジに向かっていきました。
――ラクスルでのご経験を教えてください。
事業構想もなかったゼロベースから、イチとなるプロダクトを生み出せたことです。エンジニアチームの採用を進め、組織づくりにおいてもゼロイチを経験できたことが一番誇れる経験ですね。
2014年には、エンジニアの岡田祐一(通称:おかぽんさん)を仲間に入れることができ、印刷シェアリングの発注基盤をつくることができました。おかぽんさんとは、私が出入りしていたエンジニアコミュニティ(日本Symfonyユーザー会)で出会い、その豊富なエンジニアリング経験に、「ラクスルに来てくれたらなぁ」と思っていたんです。1→10を託せる力のある人がラクスルをつくっていくのを見て、これから先は、自分がいなくても大丈夫という気持ちになったのかもしれません。
社内向けのプログラミング講座から、事業構想につながった
――その思いが、2015年の「みんなのコード」設立につながっていくのでしょうか。ラクスル卒業と、事業立ち上げの経緯を教えてください。
きっかけは、2014年10月にラクスル社内で行った「1時間のプログラミング講座」でした。
当時、社内で「非エンジニア職種のメンバーに、エンジニアのことをもっと理解してほしい」という課題が上がっていました。プログラミングの仕組みが少しでもわかるだけで、双方のコミュニケーションがうまくいくのでは…と、CFOの永見世央さんに企画を提案しました。初回はSQLで業務データを扱う講座を、2回目にHour Of Codeという子ども向けの教材を使ってワークショップをやってみました。すると、社員の反応が思いのほか良かったのです。試しに今度は、社員の子どもたち向けのプログラムもやってみたら、すごく面白そうに取り組んでくれました。
調べてみたところ、Hour Of Codeを広めようと活動している人は国内にはいませんでした。社内講座の参加者の反応と、国内での活動状況を見て、「Hour Of Codeを広めることが自分のミッションだ」と考え、すぐに動き出し、2015年の正月明けに松本さんに「法人を作ります」と伝えました。
――決断から行動までがスピーディですね。事業になるという確信があったのでしょうか。
いえ、当初は副業としてやろうと思い、ラクスルの仕事を3分の1ほどに減らしてもらいました。流れが変わったのは、翌2016年に「小学校でのプログラミング教育の必修化」の話が出たことです。文部科学省が方針を打ち出し、検討会議のメンバーに呼ばれたことから一気に話が大きく動いていきました。
ラクスルには、僕以外に優秀な人がたくさんいて任せられる状態でした。でも、日本の学校でテクノロジー教育を広げるのは「自分にしかできない仕事だ」という思いがありました。そうして、2016年2月から「みんなのコード」の活動に専念するようになりました。
――「みんなのコード」が実現したいこと、事業内容を教えてください。
ミッションは、「全ての子どもがプログラミングを楽しむ国にする」ことで事業をはじめました。プログラミングが必修になり、学校教育の現場では、先生たちがプログラミング未経験者であっても、生徒に教えなくてはいけなくなりました。そこで僕らは、行政や企業と連携し、先生たちにもわかりやすく、子どもたちが興味を持って楽しめる教育の実施をサポートしています。
最近では当初のミッションにとどまらず「子どもたちがデジタルの価値創造者となることで、次の世界を創っていく」というビジョンの実現を目指し、プログラミングに限らず、子どもたちのデジタルテクノロジー教育に領域を広げています。
――「みんなのコード」で再び、ゼロイチでの事業・組織づくりを手掛けています。ラクスルでの経験はどう生きていますか。
ラクスルには強いビジョンがあり、チームがあり、お客様の課題に対してどんな価値を提供するかという事業テーマがありました。立ち上げにおいて、どの時間軸で何を設計すべきかを学べたから、今があると思っています。
特に、ラクスルで学んだチームビルディングはそのまま踏襲しています。創業時から、松本さんは「自分よりも、すごく優秀な人を採る」ことにこだわり続け、能力のある様々な領域の人に会っていました。経営経験やエンジニアリング経験だけでなく、「業界課題をよく知る人を採る」という点も踏襲しました。
具体的には、印刷会社の中で初めてネット印刷事業に取り組んだ、トップ印刷機メーカー出身者を採用した例が挙げられます。今も活躍していらっしゃると聞いています。事業ドメインを理解する人と仕組みづくりに強いメンバーが協同して事業をつくることで、業界内の悩みをどんどんサービスに還元していくことができました。それが、ラクスルの成長に非常に大きなインパクトをもたらしましたし、みんなのコードがここまでうまく行っている一因であるとも思います。
また、「みんなのコード」は、“教育という古い業界にテクノロジーを入れる”という点で、ラクスルと共通点があります。「仕組みを変えれば、世界はもっと良くなる」というラクスルのビジョンは自分やみんなのコードにも埋め込まれていると感じます。
――現在、ラクスルとはどのように関わっていますか。
立ち上げ当初ラクスルメンバーには、「みんなのコード」に協賛・寄付も頂きました。また、「みんなのコード」にいる優秀なメンバーのメンタリングもしていただいております。
COO候補を採用してすぐその方にどう権限移譲しようか悩んでいたとき、ラクスルCOOの福島さんにメンタリングの機会をいただきました。「利根川さんはオペレーションが下手だから、任せるべきです」とズバッと助言してくれました。僕としても少し苦手意識はあったのですが、「少し苦手というレベルじゃないでしょう」と(笑)。そんな風に意見してくれる存在はありがたいですし、この助言のおかげで、現COOに事業を任せ、僕自身は新規事業開拓に没頭できる体制を構築でき、今でも感謝しています。
逆に、「みんなのコード」はラクスルのヘビーユーザーなので、外から見たプロダクトへのフィードバックは、COOの福島さんに忌憚なくさせていただいています。
ラクスルはBtoB領域なので、社員がユーザーになることはあまりありません。だからこそ、社外の人間になり、“顧客”になって見えてきたことも多かったです。「このシステムは顧客の想定する挙動はこうだが、実際はこういう挙動になっているのはおかしいので、もっとこうした方がいいですよ」と具体的に提案して実際に改善してもらったこともあります。元共同創業者からクレームを受ける現役の皆さまも嫌かもしれませんが、元同僚として愛のある指摘をしているつもりです(笑)
――最後に、ラクスル在籍メンバー、これからラクスルに入ってくるメンバーへのメッセージをお願いします。
ラクスルには、「ここで、こういうことを実現したいから入った」と目的を持って入社を決めた方が多いと思います。採用基準が高く、なんとなく入るような組織ではないと思います。どんな目的意識でもいいのですが、入社時の志は、胸を張って達成したと言えるところまでやり抜いてほしいなと思っています。
ラクスルには、情報システム部門向け事業「ジョーシス」など、ゼロイチの立ち上がりフェーズの事業もあれば、1→10の成長フェーズにある「ノバセル」や「ハコベル」があり、産業界を変えていく10→100フェーズの印刷事業があります。それだけ幅広い事業ドメインでチャンスがあり、業績を伸ばしている国内ベンチャーは指折りでしょう。長いキャリアに、ラクスルでの経験をぜひ活かしていってほしいです。