ラクスルは、2020年にベトナム・インドの2つの海外開発拠点を立ち上げました。以後2年間で、全社のエンジニア組織に占める外国籍メンバーの割合は、およそ3分の1にまで拡大しています。グローバルでの開発体制を構築したことで、現在では、日本を含む全20チームのうちの半数が英語を使って仕事を進めるようになりました。
海外開発拠点の立ち上げと体制構築の背景にあった課題や苦労を踏まえ、ラクスル株式会社 取締役CTOの泉雄介さんに、エンジニア組織のグローバル化の歩みと、そこから得た学びを伺いました。
「慢性的なエンジニア不足」を解決すべく、グローバル化へ踏み切る
―――海外開発拠点の立ち上げは、何がきっかけだったのでしょう?
優秀なエンジニア獲得の採用競争に対して、危機感を抱いたことがきっかけです。
私は2015年にラクスルへ入社以来、一貫してエンジニア採用に注力してきました。一口に採用と言っても、中途採用に新卒採用、あるいはWeb開発やインフラエンジニア、データエンジニア、フロントエンドエンジニアなど、募集職種は多岐にわたります。どのエンジニアを採用するにあたっても、共通しているのは“優秀な人材を獲得するための熾烈な競争”です。
継続して採用と向き合ってきたなかで、「年々、CPAが上がってきていること」を課題に感じていました。媒体やエージェント、スカウトに要する明示的なフィー以外にも、カジュアル面談や採用面談、求職者管理といったHR活動における管理コストに代表される暗黙的なコストも、年単位で考えると非常に負荷がかかってきます。また、少子化により、中長期的視点で見ると年を追うごとに減っていくIT人材の中からエンジニアを採用することは、少ないパイの奪い合いになりかねません。こうした背景からCPAが高騰し、採用に頭を抱えるエンジニアマネージャーも多いのではと思っています。
本来はDXに注力すべきなのに、エンジニアの獲得競争に躍起になっていると、会社として目指すべき目標から遠のいてしまうという危機感もありました。
そんななか、2019年10月から社外取締役として参画している宮内義彦さん(オリックス シニア・チェアマン)にいただいたアドバイスがエンジニア組織のグローバル化を後押しする大きなきっかけになりました。
初参加の取締役会で、いの一番に問いを立てた内容が「エンジニア組織のグローバル化の必要性」だったのです。「たとえば楽天は、日本のマーケットが大半を占めるものの、開発組織の半数が外国籍のエンジニアだ。それなのに、なぜラクスルはエンジニア組織のグローバル化に取り組まないのか」という助言が、本格的にグローバル化を進める契機となり、現在ではベトナムとインドに開発拠点を持つようになりました。

―――ベトナム拠点設立の経緯を教えてください。
ベトナム拠点に関しては、もともと2016年から現地の開発会社と協力して開発チームを立ち上げていました。前述のイニシアチブをきっかけに、2019年末からグローバル化に一層注力しようと本格的な体制づくりを加速させ、2020年6月に現地法人「ラクスルベトナム」を設立するに至りました。
ベトナムの人口動態を見ると、デジタルネイティブ世代が多く、仕事に対する価値観も合意形成型であり、日本の開発組織と相性が良かったのです。
一方で、マクロな視点で見ると、やはりベトナムもソフトウェア大国というわけではなく、エンジニアの人口でみると日本の約3分の1。また、産業としても比較的新しいがゆえに、シニア人材も日本以上に豊富というわけではなく、組織のスケールにも一定の課題感がありました。そのため、ベトナム以外にも拠点を設けて補強することを検討し始めました。
インド拠点では初期メンバーのエンジニア採用に苦戦
―――ベトナム一辺倒を避けるために立ち上げたのが、インド拠点だったのでしょうか?
はい。インドには当初およそ500万人、さらに年間で新たに数十万人のソフトウェアエンジニアが、IITなどの優秀な教育機関から輩出されているという点に着目し、立ち上げるに至りました。インドについて調べた際、『インド・シフト~世界のトップ企業はなぜ、「バンガロール」に拠点を置くのか?』(武鑓 行雄 著/PHP研究所)という本に出会い、インドの持つポテンシャルに衝撃を受けました。マイクロソフトやオラクルなどの名だたるテック企業では、インド系CEOの躍進がめざましく、インドのソフトウェア産業も隆盛を極めている状況に可能性を感じていました。そのため、2019年末にCEOの松本と現地を訪れ、インドの開発拠点を設立するための計画を練りはじめました。
インドの開発拠点の立ち上げにコミットしたのは、2020年2月頃です。ちょうどこの時期は、コロナ・パンデミックが流行し始めており、1か月ほど足踏みを余儀なくされました。ただ、このまま何もしなければ一向に動かないため、リモートの環境下でも推進し、予算から人員、プロジェクト計画などを策定していきました。そうして、7月に現地法人「ラクスルインド」を設立するに至ったのです。
また、同時並行で進めていたのが、初期のエンジニアメンバーの採用でした。拠点長の採用については、コロナ・パンデミックになる前に面接した人材がフィットし、スムーズに決まりましたが、現場のエンジニア採用は難航しました。エンジニアの母数が大きいために、応募書類も多くなり、要件に合った人材を見極めることに非常に苦労しました。最初の3か月くらいは、さまざまな採用プロセスを試しては変えるといった状態で、試行錯誤の連続だったと記憶しています。現地の拠点長と協力しながら採用活動を回せるだけの体制を構築し、2020年11月頃からは新規事業の採用活動が前進するようになりました。そうして、2021年2月に入る頃には、当初考えていた採用計画通りに人材を確保することができ、本格的にインドの開発チームを稼働させられる状況になっていました。

―――仕事に対するスタンスのギャップを埋めることに注力したそうですね。
はい。ラクスルでは、拠点を問わず、開発におけるプロトコルはアジャイル開発を主軸に据えています。週次でスプリントを組んで開発を進めていく流れは、いわば万国共通なわけですが、海外と日本では仕事に対する感覚が違うため、クオリティコントロールやマネジメントをしっかりしていくのが次の課題となりました。
当初、私はPdMとしてプロダクトのアーキテクチャから技術要件、実装方法の選定などに関わっていたのですが、仕事に対するスタンスやカルチャーのギャップに戸惑ってしまい、うまくいかない時期も経験しました。そんな状況を打破するのに参考になったのが『The Culture Map』という本でした。価値観の異なる人同士は、どのように相互理解をしていけば最大限の成果を出せるのかということをこの本で学ぶことができました。
国によって、納期に対する考え方や責務の捉え方などは異なります。日本の場合は、周囲の空気感を悟りながら、やるべきことを想像して動ける一方、海外ではジョブディスクリプションをしっかりと固め、明確にロールを伝えないとうまくワークしないことはよくあることです。そのような一つひとつのギャップを埋めながら、開発が安定し始めるまでチームを指揮していくことに注力しました。
そして、2021年9月にはインドの拠点を中心に開発した「ジョーシス」をローンチすることができました。開発ベロシティも、日本のエンジニアチームと同等の水準に達し、直近ではさらに生産性が向上しています。
海外開発拠点の立ち上げで得られた4つの学び
―――海外開発拠点の立ち上げを通じて、どのような学びがありましたか?
大きく4つあります。
1つ目は「日本と海外では企業文化に大きなギャップがあること」です。
たとえば日本企業には、周囲の空気や状況を読みながら、ときに自分の領域を超えてフレキシブルに働く場面も多々ある一方で、海外企業では、スタート段階から担当範囲を固め、責務を明確にして任務遂行することを重んじるなど、企業の文化・価値観には大きな差異がありました。このようなギャップを細かい部分まで丁寧に埋めていくことに時間をかけました。
2つ目は「得意な開発領域や向き・不向きの把握ができたこと」です。
例えば、日本に比べてインドの方が、QAエンジニアやデータエンジニアを採用しやすいことが分かりました。インドでは、IT人材は長年確立されている職種であり、日本では希少な専門性を有した人材も多く存在しています。「ハコベル」や「ノバセル」といったプロダクトで、数理的なロジックやアルゴリズムを構築するためには高い専門知識が必要になりますが、このようなスペシャリストを採用するのもグローバル人材にアクセスできることはかなり有利だと実感しました。
3つ目は「機能する海外拠点をつくるためには、日本側のトップも、拠点のトップと同じ目線でオーナーシップを持ち、共に体制を整える必要があること」です。
日本側と海外拠点のトップが二人三脚で体制構築していかないと、拠点開発自体がなかなか進まないことを身をもって体感してきました。エンジニアのみならず、ビジネスメンバーも含めた文化醸成が必要で「オフショア開発」ではなく「地域分散型開発」という認識をもとに、拠点ごとにオーナーシップを持たせることが重要になります。また、ビジネス側も顧客の特性や営業の情報など逐一アップデートする必要があるので、一定のガイドラインを策定し、会議体やコミュニケーションについて明文化していくことが求められます。このように、経営側も自ら組織の改革に踏み出さないと、海外拠点は立ち上がらないと感じました。
4つ目は「グローバル化の推進にともない、日本のエンジニアに意識変化が生まれたこと」です。
これに関しては、良い意味でさまざまな副次的な効果がありました。その1つに、当初は英語圏とのやり取りに難色を示していたメンバーの反応が挙げられます。海外拠点が立ち上がって生産性が向上していくにつれて、英語は苦手であるにも関わらず、外国籍のエンジニアと交流するのが好きなエンジニアがいたり、普段の開発業務で英語を使うことでメンバーのキャリアアップにもつながったりと、グローバル化の推進によってもたらされたポジティブな側面が多くありました。

グローバル化の推進で組織拡張に弾力を持たせることができた
―――これまで2年ほど海外拠点の立ち上げに関わってきたなかで、変化を実感している点はありますか?
そうですね。当初、ベトナムの開発拠点は、エンジニアが6人だけという小規模な組織からスタートしました。以後2年かけて、ベトナムとインドの2拠点のエンジニアは合計43人に増え、ラクスル全体のエンジニアのうち、外国籍のメンバーは3分の1になるまで拡大させることができました。まだまだ道半ばですが、エンジニアの組織拡張に弾力を持たせることができ、過当な採用競争に陥らなくても良い状況を整えられてきていると実感しています。
今、改めて振り返ると、先行きが非常に不透明なコロナ禍の環境で「よくもまぁ踏み切ったなぁ」と自分でも思います。しかし、「日本のソフトウェアエンジニア不足」という課題は構造的なもので、どのテック企業も抱える共通の問題であり、待っていても解決するものではありません。この課題にラクスルが先陣を切って取り組んできたことが他社にも影響をもたらしているのかどうかは分かりませんが、インドをはじめ、海外に開発拠点を構えることを検討し始めているテック企業が増えていると聞きます。このように、マクロな課題にこれまでとは違う形でアプローチできたことは、業界としても非常に大きな一歩ではないかと感じます。
いまだに試行錯誤を続けている段階ではありますが、今後、開発組織のグローバル化が求められる時代が来るだろうと確信していますし、これからも海外のエンジニアとの密な連携を通じて、さらなるシナジーを生み出せていけたらと思っています。
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